1939年ジョセフ・ガーバーはクリスマスのプレゼント用に25セットの料理用ナイフをナイフメーカーに作らせました。このナイフがとても好評で、本格的なナイフメーカーへと転身してゆきます。
従来のデザインとはかけ離れたユニークなデザインを採用し、しかも高品質なGerberナイフは瞬く間にアメリカ市場でトップブランドとして認知されるに至ります。 これを物語る事実の一つとして、Gerberナイフはニューヨークの有名な現代美術館にナイフとしては唯一展示されています。
Gerberは創業の段階からトップナイフデザイナーと積極的にコラボレートし、ファクトリーナイフの標準品質へと進化して行きます、有名なナイフメーカーである、アル・マー、ボブ・ラブレス、ポール・フェルマン、ブラッキー・コリンズ、ウイリアム・ヘンリーJr. 並びにエマーソン等のそうそうたるデザイナーがGerberナイフのデザインを手がけました。
今日、Gerberは創業期のポリシーを堅持し斬新なデザイン、高い品質に拘ったナイフ造りを続けています。
2003年には次世代のマルチツールとしてRecoil(リ・コイル・オートプライヤー) 【 ガーバーマルチツール一覧 】 を市場に投入しました、そして2004年にはフラッシュライト、さらにはナイフとライトを融合させたユニークなNautilus(ノーチラス・ツール)をリリースし高い評価を得ています。
常に新しいテクノロジーを積極的に取り込み、革新的なデザインで新しい商品を開発する、これがGerberの創業以来の精神であり、業界をリードし続けるエネルギーでもあります。
● 1939年ジョセフ・ガーバーがGerber Legendary Bladesを創業。
● 1966年MKⅡ(マーク2)コンバットナイフを開発、ベトナム戦争で正規軍用ナイフとして高い評価を受ける、これにより軍用ナイフメーカーとしてのナンバーワンメーカーとしての地位を確立。
● 1968年Gerber Armohide(アーモハイド)ハンドルのナイフを開発。
● 1981年Gerber マイカルタハンドルを採用したLSTシリーズ
をリリース。
● 1984年Gerberナイフ用として初めてインジェクション・モールド・ハンドルを採用。
● 1991年Gerber Folding Gator(フォールディング・ゲーター・シリーズ)でナイロンとクラトン・ラバーの一体型インジェクション・モールド・ハンドルを開発。
● 1991年Gerber Multi-Plier(マルチ・プライヤー)
をリリース、この商品はわずか2年後にGerberを代表する売れ筋商品になる。
● 2002年The Silver Trident(シルバー・トライデント)ミリタリーナイフを開発、アメリカ軍で採用される。
● 2003年The Recoil(リコイル・オートプライヤー)そしてGerber Emerson Alliance(エマーソン・アライアンス)ナイフを
リリース。
● 2004年フラッシュライトメーカー、CMG(USA)を買収、ユニークなフラッシュライトシリーズをリリース。
当社の事業は製品を製造すること、我々の情熱はファンを獲得すること
ガーバーではこの2点は対になっています。実は、いくつかの(もしくは、何百もの)
ストーリーが寄せられて初めてガーバーはガーバーになり得るのです。
ガーバー社様へ
私は消防士で、ガーバーゲーターと、マルチツールを持っています。
ある夜、私たちは建物の火事現場に呼び出されました。私はレスキュー隊に所属していました。2階の床の一部が崩れ、私はその間に落ちてしまい、仲間とはぐれました。私は、狭い場所に閉じ込められ、火と煙に包まれました。
私の斧は3フィートはなれた所にあり、使えませんでした。私に残されたのは、生きる意志とガーバーのマルチツールだけでした。それ以来、ガーバーのマルチツールは私の道具から欠かしていません。
マルチツールのニードル・ノーズ・ヘッドを使って損傷した床の一部に穴を開けて、その場所から何とか抜けだせました。ガーバー社製のツールは私の命を救ってくれてそれ以降もずっと働いてくれています。
常に、私を救ってくれたそのツールとゲーターを携帯していて、新ツールも道具箱に入っています。ガーバー社の皆様は真のヒーローです。素晴らしい製品を有難うございます。
2004年12月12日から2005年12月4日までのイラクで使用された武器LMF2について訓練や戦闘など、どのような場面においてもLMF2は使えました。
この武器は60回の演習、130回の実戦で使用され、その成果は完璧でした。LMF2の外側カバーのデザインは演習や実戦のどの場面にも合っておりPSDキットにも、また戦車の装甲にも合います。
武器本体はイラクの気候においても傑出した性能を発揮しました。メンテナンスも心配なく、研ぐ為の時間を割かなくても刃の鋭さが維持されました。
この点は多忙でスケジュールをこなさなければならない私たち隊員にとっては重要です。この武器は多岐に渡る用途があり、演習と実戦において様々な状況で使用していました。
このツールは皆様にお勧めします。戦闘に出る人だけでなく、狩猟をする人、アウトドアーライフを送る人達にもお勧めします。これは完璧な武器です。私は、ボスニアヘルツェゴビナに配置されている兵士です。
毎朝、軍服を着る際はガーバーマルチプライヤーをベルトに付け、ガーバーエアーレンジャーを前ポケットに入れます。
マルチプライヤーは私の部隊のHumvee(High Mobility Multipurpose Wheeled Vehicle = 高機動多用途装輪車輌)のメンテナンスから医療機器の修理に至るまで、あらゆることに使っています。
エアレンジャーも木の細い枝を切ったり、手紙の開封に至るまで様々な用途に使っています。また、MRE(戦闘糧食)を食べる時にも役立ちます。数ある道具の中からガーバーのマルチツールを選んだのは、耐久性があり、使用範囲の広さや、片手で開けられるからです。
エアレンジャーを選んだのは、形が細く刃がのこぎり状だからです。片手で素早く開けること、そして、かなり酷使した後もまだ鋭い切れ味には驚きました。
エアレンジャーの2倍の価格のナイフを使ったこともありますが、これほどまでに便利ではありませんでした。ナイフが必要になってから2秒以内に用意が出来なければいけないのです。私のエアレンジャーは必要だと考え終わる前に手の中で開かれています。
彼はOSS(CIAの前身)の初期メンバーの一人。第二次大戦中、彼は任務で敵部隊の背後に潜む極秘作戦なども経験。
1998年84歳で没するまで彼はClose Quarters Combat特殊部隊の大家として国際的に名高かった。彼が書いたトレーニングマニュアル、ハンドツーハンド・コンバットは今尚使われている。
アップルゲート・フェアバーン・コンバット・フォルダーはミリタリーナイフを追求した一品で、現在も特殊OPS部隊で使われている。
1986年、エディーはオレゴン州立大学より機械工学の学士を授与される。そして、8年間を、航空宇宙産業用の製品のデザイン、製作、改善をする商品産業エンジニアとして費やす。
その後、本当にやりたいことは一般消費者のための製品デザインだと気づき、エディは1994年シニアデザインエンジニアとしてガーバーに入社。彼とそのチームは今日に至るガーバーツールのラインを立ち上げた。
彼の築き上げた方向性は、プロスカウトマルチプライヤー600・コンパクトスポーツマルチプライヤー400・レジェンドマルチプライヤー800・デモリッションエクスプローシブテクニシャン・マルチプライヤー600・アーバンレジェンドマルチプライヤー700・フィッシャーマンマルチプライヤー600、そして最新のリコイルオートマティックプライヤーに活かされている。
ユーティリティーやデザインにおける特許など多くの革新的な特許を獲得している。今日デザインエンジニアリングマネージャーとして、エディのチームはナイフ・ライト・ハイドレーション・マルチツールにおいてすばらしいデザインと技術革新を市場にもたらし、それは高い社会的評価を得て、ガーバーの成長に貢献している。
アーネスト・R・エマーソンは戦術兵器としてのナイフのデザインや使用の権威である。世界的な、ハンド・ツー・ハンド・コンバットのトップインストラクターでもあり、何千もの軍や警察関係者に有事でのナイフの使い方を教えていた。
エマーソンはガーバー・レジェンダリー・ブレードとコラボし、ガーバー最初の‘オートマチック’を作った。それが、ガーバー・エマーソン・アライアンスである。
軍で、このオレゴン生まれのジェフはメカニカルのエキスパートとしての訓練を受けた。そしてパナマに駐屯し軍用機のメンテナンスとツール製造に携わる。
その後、オレゴン州立大学より製造エンジニアリングの学位を授与される。ジェフはボーイング、オレゴンメタラジカル、富士通で働き、1998年ガーバー入社。
2000年にシニアメカニカルエンジニアに昇進、新製品のデザイン開発に携わる。彼のデザインは、フリーマンフィックストブレード・LMFⅡに活かされ、ガーバーエマーソンアライアンスに参画した。
フィールドアンドストリームのベスト・オブ・ベスト賞、IWAインターナショナル・ナイフ・アワードを受賞。
ハルはフランクリン・マーシャル・カレッジで物理学学士を取得、航空エンジニアリングにおいてコーネル大学で修士号取得。その後8年を圧力洗浄と浄水設備のデザインに従事。
2003年ガーバーティームにシニアメカニカルエンジニアとして参加。ディーゼルと、ショートカット・マルチツールを監修。
2005年1月にはデザインチームに参加。現在は次世代のマルチツールをデザインしている。使いにくいツールやデザインの問題点をいくつも解決。物理学、航空宇宙学の知識が製品デザインの探求を可能にしている。
ビルはオレゴンのロッガーとしてスチール研磨を学んだ。オレゴン大卒の彼のデザインは世界中で需要がある。
人間工学に基づいたその製品は国内外において特殊部隊などへ大きく貢献している。彼のナイフは陸海軍及びSEALS(米国海軍特殊部隊)でも携行されている。
晩年のコル・レックス・アップルゲートと共にアップルゲート・ファーバイン・コンバット・フォルダー・シリーズをデザインしている。
共に働いたチーフ、ジム‘パッチーズ’ワトソンとUltimate Combat diveツール・ナイフをデザイン。それがシルバー・トライデントだ。他にも、エアーレンジャーシリーズ、エアフレームシリーズ、ハーシーハンターなど野外のヘビービューティー用のデザインを行った。
スコットはクラッシック・スクール・オブ・ハード・ノックス・エンジニアである。もし彼だけではエンジニアリングの問題が解決しない場合、彼は解決できる人材を幅広く知っている。
彼のリサーチ力と粘り強い仕事ぶりはガーバーライトの強さに貢献している。彼は、科学的・技術的に探究心旺盛な生粋のオレゴニアン。オレゴン・インスティテュート・オブ・テクノロジーにより、メカニカルエンジニアリングで学位を授与されている。
26年間、技術との格闘し、今そのリサーチと製品デザインを製造、発展に携わり始めている。
リック・ハインダラーは1987年からオハイオのウースターのショップでカスタム・ナイフを作っていた。彼の最初の試みはストレートフィックスドブレードのナイフ作りだった。次第に彼はフォールディングナイフのデザインと製作をするようになり、今では、そのユニークなデザインで知られるようになっている。
近年、彼のデザイン原点に戻り、戦術兵器としてのナイフを作っている。モダンデザインとの融合しながらも、実用的である。
ガーバー・レジェンダリー・ブレードによって作られている、ザ・ゲームプロは商業ベースで生産された彼の最初のナイフである。
リッチはガーバーデザインチームでは一番のニューカマー。2005年春からキャリアをスタート。彼の担当はポータブルライト製品。
ガーバー以前は、デザインコンサルティング事務所でインテル・ヒューレット・パッカード、インフォーカス、ヤキマ、その他多くの製品デザインを手がけていた。
それ以前は商業用軍用のクレーンなどや、オフロードでのジープのサスペンションシステムのデザイン開発をしていた。また、ナイキやコレデンスやハイスターで仕事もしていた。
これらの経験やデザインスキルがライティングの問題解決や斬新なものを作り出すことを可能にしている。